東京地方裁判所 平成8年(ワ)2803号 判決 2000年1月25日
原告
同和鉱業株式会社
右代表者代表取締役
【A】
右訴訟代理人弁護士
近藤恵嗣
同
嶋末和秀
同
木村耕太郎
被告
バイエル・アクチエンゲゼルシャフト
右代表者
【B】
同
【C】
右訴訟代理人弁護士
花岡巖
同
阿部正幸
右補佐人弁理士
【D】
同
【E】
同
【F】
主文
一 原告の主位的請求を却下する。
二 被告が原告に対し、第一七三三七八七号特許権に基づき、別紙「物件目録」二記載の金属粉末の製造・販売につき、差止請求権、損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を、いずれも有しないことを確認する。
三 被告が原告に対し、第一七三三七八七号特許権に基づき、同目録三記載の金属粉末の製造・販売につき、損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を、いずれも有しないことを確認する。
四 訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
一 主位的請求
1 被告が原告に対し、第一七三三七八七号特許権に基づき、別紙「物件目録」一記載の金属粉末の製造・販売につき、差止請求権を有しないことを確認する。
2 被告が原告に対し、第一七三三七八七号特許権に基づき、原告による平成五年二月一七日から平成七年一二月三一日までの同目録一記載の金属粉末の製造・販売につき、損害賠償請求権又は不当利得返還請求権を、いずれも有しないことを確認する。
二 予備的請求
主文二項、三項と同旨
第二事案の概要
本件は、主位的に別紙「物件目録」一記載の金属粉末(以下「本件金属粉末一」という。)、予備的に同目録二、三記載の各金属粉末(以下、それぞれ「本件金属粉末二」、「本件金属粉末三」という。)について、被告が原告に対して特許権侵害を理由とする右各金属粉末の製造・販売の差止請求権(ただし、本件金属粉末三を除く。)、損害賠償請求権、不当利得返還請求権を有しないことの確認を求める事案である。
一 争いのない事実
1 被告は、左記の特許権(以下、これらを「本件特許権」という。)を有している。
記
特許番号 第一七三三七八七号
発明の名称 磁気信号記録用の金属粉末
出願年月日 昭和五五年三月七日
出願番号 特願昭五五-二八一八八号
出願公告年月日 平成元年二月一七日
出願公告番号 特公平一-九三七〇号
登録年月日 平成五年二月一七日
2 本件特許権に係る明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲1項の記載は、次のとおりである(以下、この発明を「本件発明」という。)。
「金属鉄から本質的になり且つ平均二個以下の金属コアよりなる針状の個々の粒子からなるものであって、該粒子は孔を一個より多くは含有せず、そしてカルシウム、亜鉛、マグネシウム、アルミニウム、クロム、タングステン、リン(P2 O5 として表して)およびホウ素(B2 O3 として表して)から選ばれる少なくとも一個の元素を〇・一~七重量%含有することを特徴とする磁気信号記録用の金属粉末。」
3 本件発明の構成要件を分説すれば、次のとおりである(以下、分説した各構成要件をその符号に従い「構成要件A」のように表記する。)。
A 金属鉄から本質的になり、
B 平均二個以下の金属コアよりなる針状の個々の粒子からなり、
C 該粒子は孔を一個より多くは含有せず、
D カルシウム、亜鉛、マグネシウム、アルミニウム、クロム、タングステン、リン(P2 O5 として表して)およびホウ素(B2 O3 として表して)から選ばれる少なくとも一個の元素を〇・一ないし七重量パーセント含有する
E 磁気信号記録用の金属粉末
4 原告は、本件金属粉末二を製造・販売した。
5 本件金属粉末二は、構成要件D及びEを充足する。
6 被告は、原告に対し、原告が本件金属粉末二のみならず本件金属粉末三をも製造・販売したと主張するとともに、本件金属粉末二及び本件金属粉末三が本件発明の技術的範囲に属し、その製造・販売が本件特許権を侵害するものであるとして、自らが原告に対し、本件特許権に基づき、本件金属粉末二及び本件金属粉末三の製造・販売の差止請求権、損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を有すると主張している。
二 主位的請求についての当事者の主張
(原告の主張)
被告は、平成五年(一九九三年)五月二六日付けの原告宛書簡において、原告による本件金属粉末一の製造、販売が本件特許権を侵害すると主張した。また、被告は、平成六年(一九九四年)三月一七日付けの原告の顧客宛の書簡において、本件金属粉末一を使用した磁気信号記録用テープが本件特許権を侵害すると主張した。被告は、現在もなお、本件金属粉末一の製造、販売、使用が本件特許権を侵害すると主張し、原告に対し、金銭の支払又は本件金属粉末一の製造、販売、使用の中止を執拗に求めている。
よって、原告は、被告に対し、本件金属粉末一について、被告が原告に対し本件特許権侵害を理由とする右金属粉末の製造・販売の差止請求権、損害賠償請求権、不当利得返還請求権を有しないことの確認を求める。
(被告の本案前の主張)
被告は、原告の本件金属粉末二及び本件金属粉末三の製造・販売が本件特許権を侵害すると主張しているのであって、本件金属粉末一の製造販売が本件特許権を侵害すると主張したことはないし、これからも主張するつもりはないから、原告の主位的請求は、確認の利益を欠く。
三 予備的請求についての当事者の主張
(原告の主張)
原告は、被告が原告に対し本件特許権侵害を理由として、本件金属粉末二についてその製造・販売につき、差止請求権、損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を、本件金属粉末三についてその製造・販売につき、損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を、いずれも有しないことの確認を求める。
(被告の本案前の主張)
本件金属粉末二及び本件金属粉末三については、原告において、その磁気粉末の成分・特性等の特徴を具体的に明らかにしない限り、不特定なものというべきであるから、確認請求は却下されるべきものである。また、本件金属粉末三については、原告自らがこれを製造していることを自認しない限り、確認の利益を欠くというべきである。
(被告の抗弁)
1 本件発明の内容
(一) 本件発明における「金属コア」とは、本件明細書の「本発明の関係において、金属コアはいくつかの個々の孔の合体によって形成された針状粒子の幾何学的細分領域であると理解される。」、「ここで使用する『金属コア』という表現は、本来均質で緻密な物質から形成されたと想像できる構造を表示することを意図し、針状結晶の種々の金属コアは実質的に同一の結晶学的配向を有する。」という記載からすれば、それぞれ均質で緻密な物質から形成されたと想像できる構造を持つ幾何学的細分領域で、多数の微細結晶が高度に方位化した凝集体であって、針状の形骸金属鉄粒子がその長手方向に部分的に分断されて、典型的には電子顕微鏡写真において数珠状に連結したものとして示されるものである。「金属コア」の概念を把握するにあたって、結晶界面を問題にする必要はなく、その判定は、倍率一二万倍の電子顕微鏡写真の観察によって行えば足り、当該粒子内の結晶状態の詳細について明らかにする必要はない。以上を当業者が理解することは、十分可能である。
(二) 本件発明における「孔」とは、倍率一二万倍の透過型電子顕微鏡(TEM)写真によって捉えることのできる、二ナノメートルから五〇ナノメートルの間にある「メソポア」であり、貫通したものに限らず、粒子内に閉じこめられた空隙や、ある程度の深さのある凹みもこれに該当し得る。本件発明における「孔」の大きさは限定されており、一二万倍よりはるかに高い倍率の電子顕微鏡写真によって空隙が捉えられるとしても、倍率一二万倍の電子顕微鏡写真で捉えられない以上、それは本件発明における「孔」に該当しない。本件発明における「孔」の数も、倍率一二万倍の電子顕微鏡によって観察することにより決定される。
2 本件金属粉末二は、以下に述べるとおり、本件発明の技術的範囲に属する。
(一) 本件金属粉末二は、磁気信号記録用の金属粉末であり、その中の金属成分の含有量は、次のとおりである。
鉄 七〇ないし九五重量パーセント
アルミニウム 二・九重量パーセント
カルシウム 〇・一〇重量パーセント
マグネシウム 〇・一七重量パーセント
ニッケル 〇・五二重量パーセント
マンガン 〇・二一重量パーセント
(二) 被告が平成四年(一九九二年)五月五日にドイツ連邦共和国クレフェルド市において購入したソニービデオテープ(商品名「8mm Video CassetteP5-90MPPAL/SECAM SP90min Video 8」)及び平成九年(一九九七年)一月に同国において購入したソニービデオテープ(商品名「Sony 8mm VideoCassette P5-90MP」)に用いられている金属粉末は、いずれも本件金属粉末二と同一である。
平成四年五月五日に購入した右ソニービデオテープを分析したところ、これに用いられている金属粉末は、その顕微鏡写真(乙第一号証中の写真B)により、平均二個以下の金属コアよりなる針状の個々の粒子からなり、該粒子は孔を平均一個より多くは含有しないことが示された。
また、平成九年一月に購入した右ソニービデオテープを試料として、これに用いられている金属粉末中の鉄及び酸化鉄の含有量を分析したところ、金属鉄の含有量は四七・九重量パーセント、マグネタイトの含有量は四六・八重量パーセントであり、金属鉄から本質的になることが示され(乙第七号証、第一一号証)、また、TEM(倍率一二万倍)による分析を行ったところ、その各粒子は針状であり、平均二個以下の金属コアからなり、各粒子は孔を平均一個より多くは含有しないことが示された(乙第八号証、第九号証)。
(三) したがって、本件金属粉末二は、構成要件AないしCを充足する。
3 本件金属粉末三は、以下に述べるとおり、本件発明の技術的範囲に属する。
(一) 本件金属粉末三は、磁気信号記録用の金属粉末であり、その中の金属成分の含有量は、本件金属粉末二について示したのと同様である。
(二) 被告が平成五年(一九九三年)三月二六日にアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ市において購入したスコッチビデオテープ(商品名「NTSC P6-1208mm)に用いられている金属粉末は、本件金属粉末三と同一である。
右スコッチビデオテープを分析したところ、これに用いられている金属粉末は、その顕微鏡写真(乙第一号証中の写真C)により、平均二個以下の金属コアよりなる針状の個々の粒子からなり、該粒子は孔を平均一個より多くは含有しないことが示された。
(三) したがって、本件金属粉末三は、構成要件AないしEを充足する。
4 原告は、本件金属粉末二のみならず、本件金属粉末三をも製造・販売した。また、原告は、今後も本件金属粉末二を製造・販売するおそれがある。
5(一) 原告は、原告の製造・販売に係る「DS-一八S」及び「DS-一九六S」と呼ばれる製品が本件金属粉末二に該当すると主張し、これを前提に本件金属粉末二が本件発明の技術的範囲に属しない旨を述べるが、原告の製造・販売に係る製品中のアルミニウムの含有量として示された値(三・九又は四・三重量パーセント)や鉄一グラム当たりの飽和磁化(一五五・二emu/g)は、被告が平成九年一月にドイツ連邦共和国で購入したソニービデオテープの金属粉末中のそれ(二・三重量パーセント、一六八・一emu/g)と大きく異なっており、原告の右主張は信用できるものではない。
(二) 仮に「DS-一八S」及び「DS-一九六S」が本件金属粉末二に該当するとしても、これには相当量(四六・九又は四六・七重量パーセント)の金属鉄が含まれ、かつ、高い飽和磁化を有している(「金属鉄から本質的になり」との構成要件に該当するか否かにとって重要なのは、金属鉄の含有量よりむしろ金属粉末中の金属鉄がもたらす磁気特性である。)から、本件金属粉末二が金属鉄から本質的になるとの要件を充たすことは明らかである。
6 よって、被告は、原告に対し、本件特許権侵害を理由として、本件金属粉末二についてその製造・販売につき差止請求権、損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を、本件金属粉末三についてその製造・販売につき損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を、それぞれ有する。
(被告の抗弁に対する原告の主張)
1 本件発明における「金属コア」について、本件明細書には、「本来均質で緻密な物質から形成されたと想像できる構造を表示することを意図し、針状結晶の種々の金属コアは実質的に同一の結晶学的配向を有する。」という意味の明瞭でない定義が用いられており、当業者が本件明細書の記載によって「金属コア」が何であるかを理解することは不可能であり、「金属コア」を数えることも不可能である(仮にそうでないとしても、「金属コア」の判定には、粒子内の結晶学的配向の変化を観察し、粒子内のある領域での結晶学的配向が実質的に同一である場合には、それがゲータイトから金属鉄への変化がトポタクチックに進行した結果であることを証明する必要がある。)。
また、本件発明における「孔」には、二ナノメートル未満の大きさの、粒子内に閉じこめられた空隙も含まれるというべきであり、二ナノメートルから五〇ナノメートルの間にある「メソポア」に限定して解釈する理由は全くない。
被告は、金属コアや孔の存在や数を論じるには、倍率一二万倍のTEM写真に基づくべきであると主張するが、その根拠は、単に、本件明細書添付の写真のスケールから計算すると本件明細書に添付された写真の倍率が一二万倍であるというにすぎず、本件明細書中に写真の倍率を一二万倍に限定したり、孔の大きさを限定するなどの記載がないことや、そもそも倍率一二万倍の電子顕微鏡写真では二ナノ・メートルのものが〇・二四ミリ・メートルの大きさにしかならないことなどに照らせば、右主張は、合理的根拠を有するものではない。
2(一) 原告の製造・販売に係る製品中、本件金属粉末二に該当するものは、「DS-一八S」及び「DS-一九六S」と呼ばれる製品(「DS-一八」及び「DS-一九六」と呼ばれることもある。以下、これらを「原告製品」という。)であり、これら以外に原告の製造・販売に係る製品のうち本件金属粉末二に該当するものは存在しない。
(二) 原告製品は、カルシウム、マグネシウム又はアルミニウムを含有する磁気信号記録用の金属粉末であり、いわゆるメタルテープ用の製品である。
しかし、原告製品は、相当量の酸化鉄(Fe2 O3 )を含み、金属鉄の含有量(重量パーセント)が半分以下(四六・九又は四六・七重量パーセント)である一方、酸化鉄の含有量は四〇重量パーセント以上(四四・八又は四三・八重量パーセント)である。そして、原告製品中の酸化鉄の半分以上(γ-Fe2 O3 )が飽和しており、原告製品中の磁性に寄与している金属鉄及び酸化鉄(γ-Fe2 O3)の重量比が約二対一であることからすれば、金属鉄から本質的になるものとはいえない。
なお、被告は、金属粉末が金属鉄の高い飽和磁化に由来する磁気特性を有すれば「金属鉄から本質的になる」という構成要件が充足されるかのように主張するが、これは、金属鉄が含まれていれば右要件が充足されるというに等しく、被告自身、本件特許権に係る特許異議審判において、飽和磁化が一二七及び一二五emu/gの公知例について、その飽和磁化が金属鉄の理論的な飽和磁化(二二一・八emu/g)よりもはるかに低いことを理由に本件発明を区別したことに照らせば、右主張は、禁反言の原則により許されるものではない。
(三) 原告製品の各粒子が平均二個以下の金属コアからなること、平均一個より多い孔を有していることの立証はない。
前記のとおり、本件発明における「孔」には、二ナノメートル未満の大きさのものも含まれるというべきであるが、原告製品の粒子には、多数の微少な孔が存在する。このことは、原告製品の組成及び真比重から計算された粉末粒子の空孔率が六・六パーセントないし六・九パーセントであることからも明らかであり、実際、甲第一五号証に添付された倍率三〇万倍の電子顕微鏡写真によれば、微小な孔が多数観察でき、また、乙第九号証にも微小な孔と思われる白い点が多数観察できる。
(四) したがって、本件金属粉末二は、本件発明の技術的範囲に属するものとはいえない。
3 原告は、本件金属粉末三を製造・販売したことはない。
四 争点
1 主位的請求について、原告が確認の利益を有するか。
2 予備請求について、目的物が別紙「物件目録」二及び三の記載だけで特定されているといえるか。
3 本件金属粉末三に関する予備請求について、原告が確認の利益を有するか。
4 本件金属粉末二は、構成要件AないしCを充足し(構成要件D、Eの充足は争いがない。)、本件発明の技術的範囲に属するか。
(一) 被告が平成四年五月五日にドイツ連邦共和国クレフェルド市において購入した「8mm Video Cassette P5-90MP PAL/SECAM SP90min Video 8」と称されるソニービデオテープ、平成九年一月に同国において購入した「Sony 8mm Video CassetteP5-90MP」と称されるビデオテープにそれぞれ用いられている金属粉末は、金属鉄から本質的になり(構成要件A)、その各粒子が針状で、平均二個以下の金属コアからなり(構成要件B)、孔を平均一個より多くは含有しない(構成要件C)ものか。
(二) 本件金属粉末二は、被告が購入した右各ビデオテープに用いられている金属粉末と同一か。
5 本件金属粉末三は、構成要件AないしEを充足し、本件発明の技術的範囲に属するか。
(一) 被告が平成五年三月二六日にアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ市において購入した「NTSC P6-120 8mm」と称されるスコッチビデオテープに用いられている金属粉末は、金属鉄から本質的になり(構成要件A)、その各粒子が針状で、平均二個以下の金属コアからなり(構成要件B)、孔を平均一個より多くは含有しない(構成要件C)ものか。
(二) 本件金属粉末三は、被告が購入した右ビデオテープに用いられている金属粉末と同一か。
(三) 本件金属粉末三が構成要件D及びEを充足するか。
6 原告が本件金属粉末三を製造・販売したか。
7 原告が今後も本件金属粉末二を製造・販売するおそれがあるか。
第三当裁判所の判断
一 争点1について
確認の利益は、原告の法律上の地位に不安ないし危険が現に生じており、それを除去する方法として、原告・被告間で確認請求の対象たる権利又は法律関係の存否について判決することが有効適切な場合に、認められるものである。
本件主位的請求においては、確認請求の対象たる権利の客体は、別紙「物件目録」一記載のとおり、「磁気信号記録用金属粉末。ただし、原告が平成五年二月一七日以後平成七年一二月三一日までに製造及び販売したものと同一のもの。」というにすぎず、その金属粉末自体については、製造・販売の主体も時期も商品名も、何ら特定されていない。このような金属粉末について、その製造・販売の差止請求権、損害賠償請求権、不当利得返還請求権の不存在を確認しても、原告が製造及び販売したもの「と同一のもの」という概念が必ずしも一義的に明確ではない以上、結局のところ、具体的金属粉末について原告が平成五年二月一七日以後平成七年一二月三一日までに製造及び販売したものと同一のものかどうかという紛争がなおも残存するのであって、原告・被告間の紛争の終局的解決に寄与するものではなく、原告の法律上の地位に現に生じている不安ないし危険を除去する方法として有効適切であるとはいえない。
また、本件においては、被告が原告に対し本件金属粉末一の製造販売が本件特許権を侵害すると主張したことを認めるに足りる証拠はなく、原告の法律上の地位に不安ないし危険が現に生じているということもできない。
したがって、原告の主位的請求は、確認の利益を欠き、いずれも不適法として却下されるべきものである。
二 争点2について
本件予備的請求において、確認請求の対象たる権利の客体は、別紙「物件目録」二及び三記載のとおり、特定の商品名のビデオテープに使用されている磁気信号記録用金属粉末であり、本件主位的請求におけるような明確性を欠くものではなく、当該商品名のビデオテープに使用されているという限度では十分特定されており、右の金属粉末について、その製造・販売の差止請求権、損害賠償請求権、不当利得返還請求権の不存在を確認すれば、原告・被告間の紛争の終局的解決に資するものといえる。したがって、本件予備的請求は、原告においてその磁気粉末の成分・特性等の特徴を具体的に明らかにしていなくても、確認請求の対象たる権利の客体の特定としては足りるものであり、この点に関する被告の主張は、採用することができない。
三 争点3について
前記のとおり、本件予備的請求においては、確認請求の対象たる権利の客体が十分特定されており、被告が原告に対し、原告が本件発明の技術的範囲に属する本件金属粉末三を製造・販売して本件特許権を侵害しているとして、本件特許権に基づき右金属粉末の製造・販売につき差止請求権、損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を有すると主張している以上、原告の法律上の地位に不安ないし危険が現に生じており、右の不安ないし危険を除去する方法として、右金属粉末の製造・販売の差止請求権、損害賠償請求権及び不当利得返還請求権の不存在を確認することが有効適切であると認められる。したがって、原告は、本件金属粉末三に関する予備請求について確認の利益を有するというべきである。
四 争点4について
1 まず、本件発明における「孔」の意義について検討する。
乙第二号証(本件発明の特許出願公告に係る特許公報。以下「本件公報」という。)によれば、本件明細書には、本件発明における「孔」を明確に定義した記載はないが、その発明の詳細な説明の欄には、「一般に、これらのような酸化物から製造された金属粉末は粒子の形状および大きさに関して均一性をほとんど示さない。さらに、得られた金属粒子は、『金属針状結晶』として知られ、個々の『金属コア』に解離する傾向が非常に強い。これら双方の特徴は磁気的性質と電子音響的性質に悪影響を及ぼす。密な針状形態の破壊は高い体積収縮に帰因し、この体積収縮は、たとえば、針状α-FeOOHから出発して金属に到るまでに、ほゞ60%となる。α-FeOOHからα-Fe2 O3 への脱水、引き続くFe3 O4 への還元の間ほゞ半分の体積収縮が実際に起こるので、これらの酸化性中間生成物でさえも高度に多孔性の形態で蓄積する。」(本件公報三欄四四行ないし四欄一二行)、「本発明の関係において、金属コアはいくつかの個々の孔の合体によって形成された針状粒子の幾何学的細分領域であると理解される。いくつかの金属コアからなる針状結晶は、たとえば、金属の針状結晶を針状のα-Fe2 O3 から還元により製造するときに生成し、それは、還元の間結晶体積の減少に依存して、孔の体積が増加するという事実による。」(本件公報四欄三八行ないし五欄一行)と記載されている。右によれば、本件発明における「孔」とは、針状のα-FeOOH(鉄(Ⅲ)酸化物水酸化物、ゲータイト)を脱水してα-Fe2 O3 (酸化鉄(Ⅲ)、ヘマタイト)とし、引き続いてこれを還元してFe3 O4 (フェリ磁性酸化鉄、マグネタイト)とし、更にこれを還元して針状の金属鉄(Fe)粒子とする過程において、結晶体積収縮が起きることによって生じる孔を意味し、二ナノメートル未満の大きさの、粒子内に閉じこめられた空隙も含まれるというべきである。
この点について、被告は、本件発明における「孔」の大きさは二ナノメートルから五〇ナノメートルに限定されるもので、一二万倍より高い倍率の電子顕微鏡写真によって空隙がとらえられるとしても、倍率一二万倍の電子顕微鏡写真でとらえられない以上、それは本件発明における「孔」に該当しないと主張する。そして、乙第九号証(【G】博士作成の鑑定書に対する補遺)には、顔料粒子中の孔を観察及び分析するには一二万倍の倍率が最も適切である旨の、乙第一九号証(【H】教授作成の鑑定書)には、本件発明における「孔」の数は倍率一二万倍の電子顕微鏡写真を観察することによって決定される旨の、それぞれ記載がある。
しかし、本件明細書には、「孔」の大きさについて明確に定めた記載はない。乙第九号証には、孔の観察・分析に一二万倍の倍率が最も適切であることの根拠について言及した記載は一切なく、また、乙第一九号証の前記記載も、単に本件明細書における実施例を示すものとして倍率一二万倍の電子顕微鏡写真が掲げられていたことを根拠とするものであり、実施例の記載から直ちに「孔」の大きさが限定されていると解されるべきものではない。かえって、乙第一九号証において従来技術を示すものとして添付された資料においては、「孔」の数を観測するために用いられる電子顕微鏡写真の倍率は約一万一〇〇〇倍ないし五万倍であり、また、乙第八号証(【G】博士作成の鑑定書)においては、「Sony P5-90MP」に用いられている金属粉末の粒子を示したものとして、倍率一二万倍より高い倍率(二二万倍)の電子顕微鏡写真が多数掲げられている。そして、被告自身、「孔の数が少ない程(換言すればより緻密である程)粒子の保磁力が大で製品として優れているとの一般論が成り立つ本件では、従来技術に比してより微細な空隙のレベルで孔を観察する方法に限定することは、極めて合理的である。」と主張していること(準備書面(一一)五頁)に照らしても、本件において、より高倍率の電子顕微鏡写真を用いることも十分考えられるところであり、結局、「孔」の大きさを被告主張のように限定する理由はないというべきである。
2 被告が平成四年五月及び平成九年一月にドイツ連邦共和国で購入した「 8mmVideo Cassette P5-90MP PAL/SECAM SP90min Video 8」又は「Sony 8mmVideoCassette P5-90MP」と称されるソニービデオテープにそれぞれ用いられている金属粉末粒子が、右の意義を有する「孔」を平均一個より多くは含有しないかどうかについて検討する。
まず、被告は、乙第八号証の電子顕微鏡写真(倍率一二万倍、二二万倍)及び乙第九号証の電子顕微鏡写真(倍率一二万倍)をもって、平成九年一月に購入した右ソニービデオテープに用いられている金属粉末粒子が「孔」を平均一個より多くは含有しないと認められると主張する。しかし、前記のとおり、本件発明における「孔」の大きさについては、被告主張のように限定される理由はないというべきであるから、倍率一二万倍の電子顕微鏡写真で「孔」を観察し得なかったとしても、これより高い倍率の電子顕微鏡写真で観察した場合に「孔」を観察し得る可能性がある以上、倍率一二万倍の電子顕微鏡写真のみをもって右の金属粉末粒子が「孔」を平均一個より多くは含有しないと直ちに認め得るものではない。また、本件発明における「孔」が電子顕微鏡写真の影像上どのように観察されるのかについては証拠上必ずしも明確でないが、乙第九号証の電子顕微鏡写真(倍率一二万倍)においては、金属粉末粒子中に微細な白点が多数観察でき、これらが「孔」に該当すると認める余地も十分にある。さらに、乙第八号証の倍率二二万倍の電子顕微鏡写真は、影像が不鮮明であり、右写真において被告の指摘する箇所に「孔」が観察できると直ちに認めることはできない。
また、被告は、乙第一号証中の写真Bをもって、平成四年五月に購入した右ソニービデオテープに用いられている金属粉末粒子が「孔」を平均一個より多くは含有しないと認められると主張するが、右写真は、右の事実を立証するに足りるものではなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、被告が平成四年五月及び平成九年一月に購入した右ソニービデオテープにそれぞれ用いられている金属粉末粒子が「孔」を平均一個より多くは含有しないと認めることはできない。
3 以上によれば、その余の点を検討するまでもなく、本件金属粉末二が構成要件AないしCを充足して本件発明の技術的範囲に属すると認めることはできず、本件金属粉末二に関する予備請求に対する被告の抗弁は、理由がない。
五 争点5について
まず、被告が平成五年三月にアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ市で購入した「NTSC P6-120 8mm」と称されるスコッチビデオテープに用いられている金属粉末粒子が、前記四1の意義を有する「孔」を平均一個より多くは含有しないと認められるかどうかについて検討するに、被告は、乙第一号証中の写真Cをもって、右の金属粉末粒子が「孔」を平均一個より多くは含有しないと認められると主張するが、右写真は、右の事実を立証するに足りるものではなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、その余の点を検討するまでもなく、本件金属粉末三が構成要件AないしEを充足して本件発明の技術的範囲に属すると認めることはできず、本件金属粉末三に関する予備請求に対する被告の抗弁は、理由がない。
六 よって、本件主位的請求はいずれも不適法であるからこれを却下し、本件予備的請求はいずれも理由があるからこれを認容し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三村量一 裁判官 大西勝滋 裁判官 中吉徹郎)
<以下省略>